木戸泉物語(中)

多様化への展開の中で、目標をふたつたてた。
ひとつは古酒、
もうひとつは 濃厚多酸酒 です。

高温山廃モトという木戸泉独特の酒母づくりについては前号に書いたとおりである。

そしてその際、腐造を誘発しかねない生の乳酸菌をあえて使用していることについても、社長の荘司勇さんのコメントをつけておいた。

荘司さんはこう言っている 。

「生の乳酸菌は確かに危険です。しかしその乳酸菌から育った天然の乳酸の方が、外からぽっと投入した人工乳酸よりも、醪に仕込んだ場合、酒に仕上げる過程でいろいろな可能性を追求する余地が出てきます。これが高温山廃モトの最大の利点です。」

そこで今度は技術顧問の古川薫さんに、木戸泉としてどんな“可能性を追求”しているのかを聞いてみた。

「わたしが高温山廃モトに本格的に取り組んだのは昭和25年ころからです。ちょうどその前の年から、いわゆる三増酒の造りがはじまりましたね。

それから数年間いろいろ実験を繰り返して、何とかいけそうだというので、実際に木戸泉の蔵で造りに入ったのが昭和31年でした。もうそのころ酒造業界は三増酒全盛の時代でした。

三増酒というのはご承知のように、合成酒の製法を取り入れて、アルコールに乳酸、グルタミン酸ソーダ、コハク酸やリン酸、グリセリンなど20種類もの食品添加物を混和した調味液を加えて増量した酒だから、結局どこの酒も同じような味になってしまう。まったく個性がないんですね。日本酒は昔から酒屋万流といわれて、酒屋一軒一軒、それぞれに手前味噌ではないが、おらが酒というものを造ってきた。それが三増酒時代になってすっかり陰をひそめてしまった。

そこでまずわたしは、日本酒の多様化、個性の復活ということを考えました。戦後、ごらんのように私たちの食生活は豊富に、かつ多岐にわたっています。これからの日本酒は食中酒としてそれに対応していかねばならない。つまり多様化ですね。そして多様化することが個性化にもつながる・・・。我田引水じゃないが、高温山廃モトで造った酒母は味に幅も深みもありますから、どんな多様化にも対応できるんです。

その多様化への展開の中で木戸泉の目標をふたつ立てました。

ひとつは日本酒のオールド化、つまり古酒ですね。ワインも中国の老酒もそうですが、何年ものといわれて古い酒が珍重されている。日本も昔はそういう時代があったそうですが、今はもう忘れられてしまった。で、それを復活させようというわけです。

もうひとつは、濃厚多酸酒とわたしが名づけているんですが、これから日本も外国人が多くなる。彼らはワインになじんでいる。それならブドウのワインに負けない、コクがあって酸の強いライスワインをつくって外貨獲得の一助にしよう、というのが発想なんです。もっとも、そう考えたのは高温山廃モトに取り組み始めた昭和25年頃ですがね。」

ということであった。

ところで木戸泉の高温山廃モト仕込みは今年で38年を迎える。古川さんが挙げた二大目標はそれぞれ商品として定着、いずれも名酒の誉れをほしいままにしているのはご同慶の至りである。

古酒は「古今」の銘で、そして濃厚多酸酒はちょっと変わっているが「アフス」という銘で。

ここでまず社長の荘司さんに古酒発売の動機をうかがうと、

「古川先生が私どもの酒4合瓶1本、お宅にお持ち帰りになったことがありました。それをそのまま台所の隅において忘れてしまわれた。10年ほど経ったころ、それを持ってこられて『どうだ、この酒飲んでみろ。』とおっしゃる。それが何ともいえぬ素晴らしい味でして…。これがまずヒントになりまして。それから当時は級別制度がありまして、1年経ちますと特級でも自然と格下げになるんですね。もったいないから、これも古酒にしちまえ、ということで、これも動機のひとつでしたね。 そうしているうちに9年ものが少したまりまして、味もよかったので、三越に出してみましたら、飛ぶように売れてすっかりうれしくなり、そのご報告を兼ねて坂口(謹一郎)先生の所へ同じ古酒を持参したら、逆に先生からお叱りを受けまして…。」

ということになるのだが、これについては坂口先生自身が書いておられるので、それを引用させていただく。

「(前略)昔は珍重されて今はない清酒のもうひとつの型に古酒があります。ご承知の通り現在清酒の大部分は、秋の末から春の始めにかけて造られますので、その前年の同じ季節に造られたような酒は、古酒といって、香も味も劣化して、一般には嫌われがちとなります。つまり清酒の寿命は1年ぐらいに限られていますが、江戸時代以前の人たちは3年、5年あるいは7年を経たものを珍重し、値段もそれに応じて高く取引されていたようです。同じ米で造った中国の老酒などが10年、20年あるいは50年と年を経たものほど貴ばれていることなどとも考えあわせますと、清酒の古酒の流行も単なる夢というわけにもゆかないと思います。(中略)誰かに先鞭をつけてほしいものと思っていましたら、千葉県大原の『木戸泉』という酒造家がこられて、偶然にも、5年と8年の古酒をたくさん持っていたので、三越から出して見たら、飛ぶような売行きです、というお話でした。それは大変だ、売り止めになさい、売り尽くしてしまったら、あなたは唯の酒屋になってしまいますよと、御警告をするようなことでした。(後略)」 (坂口謹一郎著『古酒新酒』講談社刊)

これについて、社長のコメントは次のとおりである。

「これは昭和46年のことでした。4合瓶で100本、1本2000円で出したんですが、当時としてはずいぶん思い切った高い値段でした。坂口先生のご忠告に従いましてすぐ三越へすっとんでいった時は、まだ 20本ほど残っていて、事情を話し、お詫びしながら 引き取らせてもらいましたが、それにしても売り出してから4・5日しか経っていないのに、あんなに売れ足の早いのも驚きでした。なお、先生のご文章には5年と8年とありますが、実際には全部9年ものでした。先生のお宅へ持参したのは9年ものの他に、何種類かありましたから、それと混同なさったのかもしれません。」

このころはまだ「古今」という銘ではなく、「オールド木戸泉」だった。そしてこの5年後の昭和51年、坂口博士を通じてこの酒を知った当時侍従長であった入江相政さんが、すっかりこの酒に惚れこみ、自ら名付け親を買って出て、ラベルの文字まで揮亳してくれたという。

坂口博士に売り止めを命じられた木戸泉だったが、入江さんの古今命名と相前後して、10年古酒として市場に出せるゆとりが出てきた。その発売を記念して博士はお仲間の寄せ書きの最後に、次のような祝歌を荘司さんに贈られた。

このよならぬ あぢよかほりよ 君がかみし
ひのもと一の ふるさけぞこれ

木戸泉では現在、純米酒だけで年間にタンク27本仕込んでいる。うち6本は、原料米は兵庫県産の山田錦、精米歩合60%。残り21本は山田錦、岡山県産のアケボノ、秋田県産の自然農法米などを使い、これも精米歩合60%。そして、山田錦で仕込んだ6本のうち、その年の最高出来のものを1本古今用として貯蔵しているという。タンク1本だから、その生産量は4合瓶にして約2000本。

古今に限らず他の純米酒も本醸造、普通酒(糖なし、アル添のみ)にいたるまで、木戸泉では県産米は使わず、他県産米を使っている。これに対して社長の荘司文雄さんは、

「別に千葉県の米を嫌っているわけではないんです。できたら使いたいのです。しかし、県産米はほとんど早場米なんです。酒造期に入る頃それは半古米になってしまうんで、それで使いたくても使えないんです。やはり酒には鮮度のいい新米を使いたいですからねぇ。」

というのである。

東京では数少ない木戸泉を売る店のひとつ、星名酒店の星名栄松さんはときどき自作のチラシ「きどいずみ」をお客に配って、木戸泉の宣伝にこれつとめている。最近のチラシによると、先代の荘司勇社長は高温山廃モトの完成までに

「先祖伝来の田畑を売って、買った4万俵の米を使い果たすまで失敗を繰り返した。」とある。

わたしは知らなかったので星名さんにただしたら 、星名さん曰く

「間違いありません。わたし確かに社長さんに聞いたんですから。」

荘司さんはそういう人だったのかもしれない。

カテゴリー: 木戸泉物語 パーマリンク

木戸泉物語(中) への1件のフィードバック

  1. ブラジル向けの日本酒の輸出の問い合わせです。私は野村貿易の宮川と申します。弊社は中堅の総合商社で、野村證券と同じ野村系列です。ネットで御社がかつて中国で日本酒を生産していたと知りました。弊社はブラジルに現地法人があります。その現地法人は今年度から日本酒の輸入を始める予定です。すでにブラジル国内の酒類販売の登録を完了しています。この機会に御社のブランドを取り扱いたく、メールした次第です。また別件ですが、ブラジルの新興日本酒メーカーが、酒造技術の提携を模索しています。本件もあわせ、一度 輸出のご担当とお話させていただきたく。ご連絡先を教えてください。以上 宮川 03-3438-7789

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です