木戸泉物語(上)

55℃の高温で仕込んでいる。

だからうちのは高温山廃モト

といっています。

「木戸泉」は千葉県の酒である。蔵は外房の大原町にある。

創業は明治12年。社長の荘司文雄さんは四代目になる。年間生産量は約1300石。中小地酒蔵には違いないが、それも中よりは小の部に入る蔵である。

そんな小さい蔵をなぜここで取り上げたのか。ここの酒造りが特異だからである。特異な酒造りでしかも素晴らしい酒を造っているからである。その素晴らしさは、この蔵に寄せられた坂口謹一郎博士(東大名誉教授)の次の短歌が必要にして十分に証明してくれるだろう。

いにしえの なだのうまさけ きみにより
太平洋に うつりしきはや

あえて蛇足的説明を加えれば、昔の旨酒はもはやいまの灘にはなく、ここ房総は君の木戸泉の蔵に移ってきたようだね、ということになろうか。つまり昔の良き時代の灘酒の味はいまの木戸泉にとってかわってしまった、といわんばかりである。

その特異な醸法とは何か。そしてそれはいつから取り入れられたのか。となると、話は先代社長(現社長の父君、荘司勇さん)の時代にさかのぼる。といってもそれは昭和30年前後のことだが。

当時木戸泉には勇社長を助けて元大蔵省技官の古川董さんが技術顧問をしておられた。いまはお二人とも他界されてしまったが、特異醸法はこの古川さんが考案し、そしてその実験の場を勇社長が提供したことによって、ひとつの成功を勝ち得たといえるだろう。

ではその木戸泉の特異醸法。それは酒母造りにある。

昔から一麹、二モト、三造りという。これが酒造工程の三大ポイントで、まず麹が米のデンプンを糖にかえる。次にモト(酒母ともいう)の中の酵母が糖をアルコールにかえる。そして造り、というのは醪工程のことで、そこで麹による糖化と酵母によるアルコール発酵が同時に進行し、これを平行複発酵というが、その発酵が終わったところで醪をしぼって酒にする。

この酒造工程の中で、酒母の果たすべき役割は何かというと、麹が糖化したものをアルコールにかえる、その働きをするのが酵母だから、まず酵母の培養液であること。同時にその酵母の働きにブレーキをかける有害菌を乳酸の力で駆逐するために、乳酸をたくさん貯えていなければならないことである。酒母に、この乳酸をいかに付与するかで、現在、大別して新旧ふたつの方法が行われている。

ひとつは、江戸期の灘で完成した生モトと呼ぶ酒母の造り方。これは自然に発生する乳酸菌を、その生態系を利用しながら、酒母造りの過程でうまく乳酸にかえる方法。いってみれば天然流。そして最近新聞広告にも散見される山廃モトというのは、この生モト方式の中でもっとも重労働といわれた山卸という作業を廃止して省力化を図った方法。だから正式には山卸廃止モトと呼ぶ。山廃モトは略称。

もうひとつは、速醸モトという造り方で、これは明治末年の発明。化学製品として市販されている乳酸そのものを添加する方法だから、前者の天然流に対して人工流、あるいはインスタント化といってもよかろう。生モトに比べると短期間で仕上がり、操作も簡便、何よりも安全醸造というのが最大利点で、現在、全国9割以上のメーカーがこの速醸モトで酒母を造っている。

では、木戸泉ではどうか。乳酸菌を育て乳酸にかえるという点では生モトと同じだが、山卸という作業は行わないから、まず山廃モト方式といえるだろう。が、普通の山廃モトの仕込み温度は8℃前後。それを木戸泉では55℃の高温で仕込んでいる。

「だからうちのは高温山廃モトといっているんです。」

との勇社長の説明だった。

木戸泉の高温山廃モトは、ほかにもまだ特異性がある。その最たるものは、昔ながらの山廃モトは自然発生の乳酸菌を乳酸に変えるのだが、木戸泉では培養した生の乳酸菌をわざわざ投入している。これについて古川さんに質問に質問したことがある。こういう答えだった。

「乳酸菌というのはたくさん種類があって現在300いくつ確認されています。その中には善玉、悪玉いろいろありましてね。たとえば牛乳がヨーグルトやチーズになるのも乳酸菌の作用なら、酒を腐らす火落菌というのも乳酸菌の一種です。これなんかはわれわれ酒造関係者にとっては最悪玉といっていいでしょう。

ところで、たくさんある乳酸菌ですが、日本酒の中に生息する乳酸菌はたったふたつしかないのです。そのひとつを発見したのが戦後、坂口先生(謹一郎博士のこと)のもとで東大応用微生物研究所の主任教授を務められた北原覚雄博士です。

北原先生が京大農学部の講師か助教授のころ、昭和8年だったと記憶していますが、そのころ発見されたものです。菌種の学名はほとんどラテン語系のものが多いのですが、北原先生発見の新種は、ちゃんと、Lactobacillus sake katagiri,Kitahara and Fukami; という学名で記録されています。

それほどこれは世界的大発見だったわけです。そういう大発見の成果を日本の酒造りに利用しないなんて実にもったいない話でしてね。まぁ、これが私の乳酸菌応用のきっかけ、動機ですね。

それでね、私わざわざ京大まで行きまして、北原先生からふたつの菌種をわけてもらったのです。それを使ってはじめて酒母を造ったのは昭和31年でしたね。

北原先生からいただいた乳酸菌種その後は、うちで培養しまして、いまはそれをつかっています。

まぁ、そういうわけで、普通の日本酒の味はコハク酸が主体の味になるんですが、木戸泉の酸味はどうしても乳酸の味が強く出ます。その味わいを坂口先生は、昔の灘酒の味のようだとおっしゃるんでしょうね。」

続いて55℃という高温処理についても聞いてみた。古川さん曰く、

「高温糖化モトといいましてね。これはうちだけでなく、どこでもおやりになっている方法です。速醸モトでも高温糖化でやっておられるところ多いですよ。

その55℃という温度はね、麹菌がデンプンを糖化する最適温度なんです。それとここまで温度を上げると、大抵の雑菌は死んでしまう。そういう殺菌作用の効果もねらっているわけです。」

古川さんから以上のような“基礎知識”を得た上で、今度は社長さんに、こんな質問をしたことを覚えている。もちろん先代の勇社長さんである。

「北原先生の研究所から分けてもらったふたつの乳酸菌、それは当然、善玉菌でしょうが、いずれにしても生の菌です。投入した後、温度や環境の変化で悪玉に転化するおそれはないんですか。」

これに対して社長さん曰く、

「善玉が悪玉に転化したのかどうかはわかりませんが、とにかくこの乳酸菌利用の最初の年は確かに失敗しました。

腐造、まではいってないでしょうが、えらい酸の多い酒になってしまって、とても商品にはならなかったんです。で、いろいろ古川先生と相談しているところヘ、神奈川県のある蔵元さんから『全部、うちで買い取りたい』といってきたんですよ。

それで引き取ってもらってほっとしたんですが、あとで聞いたところ、あちらさんの酒にうちの酒をブレンドしたら、ちょうど灘のいい酒そっくりになって、お客さんにも評判よく、いつもの年よりよく売れたということで、それでまた胸をなでおろしたんですがね。

その後、古川先生と飲むたびにあの時は倒産せずにすんで、ほんとに助かったね、と笑い話にしているんですが。

その後は初年度の経験を生かして、杜氏たちも手づくりのコツをおばえたようで、順調にきているのですが、やはり生の乳酸菌を育てながら乳酸にするのと、でき合いの乳酸を添加するのとでは、酒の味の幅、深みが全然ちがいます。

生の乳酸菌は危険なことは危険ですが、つくりのコツさえ会得してしまえば、野球でもいうでしょう、ピンチのあとにはチャンスありって。そのチヤンスがやってくるんです。つまり、糖化も十分、乳酸もしっかりでき上がっている。そういう健康体そのものの酒母をべ-スにして醪を仕込めば、酒に仕上げる過程でいろいろな可能性を追求する余地がでてくる。これが高温山廃モトの最大利点だと思いますね。」

次号以下で、その「可能性を追求」した美酒ア・ラ・カルトを紹介することにする。

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